哲学の道 #25

 今回は予告通り哲学の道の由来についてです!


そもそも哲学の道とは幕末の戦乱によってボロボロになってしまった京都を復興したい!という復興事業の一環としてひかれた琵琶湖疎水を管理するための道路なのです。


その為管理上の名称は「京都市道鹿ケ谷疎水通」、「京都市道東三径1号線、四径3号線」といったように全く別の名前なんです。



では本題のなぜ「哲学の道」なの?って言うことなんですがこの道を多くの文人や哲学者が好んで散策したからなんです。


特に京都大学に近かったため、西田幾多郎や田辺元を代表とする哲学者がこの道を散策していたことから当時は「哲学の小径」や「思索の径」と呼ばれていたそう。


「哲学の道」と親しまれるようになったのは後の昭和47年(1972年)に地元住民がこの道を砂利道の散策路として保存運動を進めるにあたってその名前を相談し「哲学の道」と決まったそう。


ちなみに独創的な学問が生まれる町の条件は「古い町であまり大きくなく、散歩できる自然がある場所」だそうですが、この哲学の道はまさしくその条件に当てはまっているように思えますね。


以上哲学の道についてでした!

菊池豊後守鑑実(きくちぶんごのかみあきざね)

Oita→Kyoto Japan ⛩現在訪れた旧跡仏閣は200ヶ所以上 ⛩畿内を拠点にしてしまった肥後菊池氏の末裔 🏯撮り溜めていた写真を投稿 🏯活動中に気になったことを深堀りして投稿することも 📸iPhoneXR📱