
名古屋市のシンボルとして有名な名古屋城。今回はそんな名古屋城の代名詞ともいえる鯱についての豆知識です!
まず鯱って何なの?っていう話ですが、もともとは飛鳥時代(592~710年)に中国から日本に伝わった鴟尾(しび)と言われるものが安土桃山時代に変化して出来た建築様式だと考えられています。

(※東大寺上部に見える金色の部分が鴟尾(しび))
鯱は別名「鯱鉾」とも言われ、これは空想上の動物である鯱(しゃち)とそのしっぽの部分が反り立っていることから「鉾(ほこ)」のように見え「鯱鉾」と呼ばれるようになりました。
「鯱」は頭は龍(※虎という説も)、胴体は魚の生き物で建物が火事になると口から水を出して消火してくれることから「鬼瓦」と同様に守り神として普及しました。
ちなみにこの鯱を建築様式として広めたのは織田信長と言われており、安土城に取り入れられてから全国のお城の建築様式に普及していったそう。
さらにちなみに名古屋城では鯱を金板張りにして作ったためとんでもなく高額な鯱が付けられ、江戸時代財政難の時には金を剥して財政の一部に充てていたこともあるそう...!
以上が今回のお話!最後まで読んでいただきありがとうございましたm(__)m
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