京都にあった日本最大の大仏 #12

今回は京都市東山区にある方広寺についてのお話。じつはこのお寺にはかつて日本最大の大仏が存在したんです。
豊臣秀吉存命の時代、奈良の大仏こと東大寺の大仏は戦禍によって仏頭が破損しており、「大仏」を指すものが存在しませんでした。そこで秀吉はかつての東大寺に代わる大仏を京都の方広寺に造営します。ここに日本最大の約19mを誇る大仏が造営されたのです。(※東大寺の大仏は14.7m)
しかしこの方広寺、不運なお寺として後に知られることになります。
まず、豊臣秀吉死後、方広寺にある大きな鐘に刻まれた銘文「国家安康・君臣豊楽」の文字が「家康の文字を二分していて豊臣の子孫繁栄を願っているように見える」といちゃもんを付けられ、豊臣家滅亡の要因の一つになってしまいます。
さらに不運は続き、方広寺は昭和48年最後の失火により焼失するまで計2度の火災、1度の落雷、2度の地震による倒壊に見舞われ再建を繰り返した大仏も京都から姿を消してしまいます。
現在かつての方広寺境内には「豊国神社」が再建されており、そこに方広寺と鐘楼が隣接しています。また、現地には「京都大仏前郵便局」や「大仏前交番」などの名称が見受けられ、当時の面影を感じることが出来ます。



