
写真は京都東山に位置する高台寺の画像。豊臣秀吉の本妻(※以後正室と表記)である北政所(きたのまんどころ)ねねが秀吉の冥福を祈るために建立した菩提寺として有名です。さてここで突然ですが問題です!「北政所ねね」の「北政所」とは一体どういう意味でしょう?
正解は平安中期以降の摂政・関白の正室の呼び名です!豊臣秀吉は天皇を補佐する役職である関白職に任じられていたため、ねねは以後「北政所様」と呼ばれるようになります。
関白職であった秀吉ですがその職を辞したあとは「太閤殿下」と呼ばれるようになります。「太閤」とは摂政・関白職を辞したあとにその子息が摂政・関白に任じられた際に呼ばれる尊称のことです。
歴史上の人物はこのように官職による尊称で呼ばれたり、徳川家康のように江戸時代以降自分の神号(死後神として名づけられる名前)である「東照大権現」と呼ばれたりする例があります。
要はどれも天皇から賜った官職であったり、神様としての称号であったりと格式の高いものです。まだまだ身分制度が厳しかった時代、これらの名前は強い影響力を示す役割を果たしていたのです。
では大河ドラマがはじまるのでこれにて失礼しますm(__)m
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